布施神社 秋祭り(2019年)

布施神社の歴史

宝亀二年(771)8月勧請創立社伝によると「本国総社本」に正三位布施大明神と記載され備前国式内外古社128社の一なりとある。
寛文6年光正の神社整理の政策のよって神仏分離により薬神寺が廃寺となり元の社格に復した。
正徳2年綱政は71の奇宮の内社殿の荒廃した66社を当社句々廼馳(くぐのち)神社を拡張して統合した。
大正5年11月11日当社境内の句々廼馳神社を藩制改革の際寄附米が廃止されたため社殿が荒廃し本社の合祀した。
大正7年4月26日当社同境内にあった益野の氏神八幡宮が合祀された。

布施神社の歴史

江戸時代の寛文6年(1666年)に、当時の岡山藩主・池田綱政は藩の領地である備前国内の産土神601社全ての由緒を調査させ、領地内にあった祠や社10,524社を廃して、71社の寄宮(複数の神社を合祀した神社)として再編した。
さらに正徳3年(1713年)、上東郡大多羅村の芥子山南西中腹にあった句句廼馳神社(くくのちじんじゃ)の境内を広げ、71社の寄せ宮の内の66社を境内に合祀し社殿を建て、大多羅寄宮とした。岡山藩は大多羅寄宮に毎年社殿の修理費と神供料を支給していた。
明治になり廃藩置県によって岡山藩の社殿運営費用が途絶えたため、明治8年(1875年)に大多羅寄宮は句句廼馳神社とともに芥子山南西麓にある布勢神社に合祀され、現在に至っている。なお、旧境内地には石垣・石段・社殿跡などが現存している。
昭和2年(1927年)4月8日には、跡地が国の史跡に指定された。